世界に少数残る、昔ながらの生活を維持している種族は、例外なく狩猟採集型の生活をしています。発展というものから隔絶された社会の形態と言えるかもしれません。多様な食物を利用する、安定的なシステムなので、周囲との争いもまず起きません。

これに対して、農耕型社会は発展型社会とみることもできますが、水利権などの争いや戦いのリスクを内在する社会でもありました。

米は、栽培が難しい植物です。いつも豊作とは限りません。凶作となって、米が足りなくなると、食のシステムが回らなくなります。

稗や粟だったら、干ばつや虫害にも強いし、超長期保存できるので、飢饉は起きにくいのですが、米はそうもいきません。それもあってか、一部の地域では、稲作を止めて、稗作りに戻ったところもあったようです。

凶作は死活問題そのものです。そこで、他の集落からの略奪に走ったりするようなことが起こります。そうでなくても、水利権の争いも少なくなかったでしょう。

弥生遺跡ビッグデータから読み取れる特徴の一つとして、この時代には、周囲に濠を廻らして、外敵からの攻撃を防御する構造を持つ、大規模な環濠集落の出現があります。

遺物のデータからは、縄文では狩猟用だった石鏃(矢じり)が、弥生では大型化して、人を攻撃するためのものに変化していることがわかります。

こういった集落を統率するためには、農業管理だけでなく、戦闘も指揮できるリーダーが必要になってきます。リーダーは最初は世襲ではないのですが、首長となって富と地位を世襲するようになると、支配者と支配される者の区別ができて、階級社会が生まれます。

こういった共同体が連合となり、さらに大きく束ねられて、ムラはやがて“クニ”としてまとまっていきます。

こうして、弥生人は、時間と自由を奪われ、階級社会の中に押し込められていきます。縄文は遠くなりにけり、と嘆いた弥生人がいたかどうかはわかりませんが、社会の在り方が根本的に変わってしまいました。

そして、日本の社会では、現代に至って漸く、ワークライフバランス働き方改革が叫ばれるようになりました。これは、僕には、弥生以来の生活を見直して、少し縄文に戻ってみないかというふうに聞こえてなりません。

さて、米は、以後日本社会の仕組みに、より深く組み込まれていきます。人口も飛躍的に増加していきます。その前に、次回は、少し脇道に逸れて、‟米がもたらしたもの”についてお話させていただきます。

“難儀な話はあかんで。面白い話期待や。ガーフィールドはん!!”