ところで、全国で16万基ともいわれるほどに数多く築造された古墳ですが、7世紀になって作られなくなっていきます。それはなぜでしょう。
なぜ古墳時代として一時代を画した時代が終わったのか。
これが次の謎です。

古墳を作るのは大事業ですよね。相当数の民が駆り出されますし、費用もかかる。そして、人・馬の巡死・殉葬も行われた。

それから、中央集権化が進んで強大になった大和政権は、初期のようにその権威を示すためにわざわざ巨大な古墳を作るという必要性が乏しくなったということが指摘されます。

また、大化2年(646)に出された勅令である「薄葬令」というのがあって、身分に応じた墳墓のグレードを定めた。分相応です。大王の墳墓についても制限しました。この薄葬令によって古墳が小規模なものになり、古墳時代が終わりを告げたとする主張も一部にはあります。

さらに、6世紀に伝来した仏教によるとする説があります。木造寺院を建てて、僧侶たちが住み込む文化的な空間に祀られるのと、土の丘に祀られるのだったら、どうでしょうか。寺院のほうがいいと考えるようになったのかもしれません。よりスマートな感じがしますよね。

時代が進むにつれての、以上のようないくつかの状況変化が背景にあったと考えられます。

さて、ほぼ時代を同じくして、実は、もう一つの謎があるのです。古墳よりは、スケールの点ではずっと小さくなりますが。

古墳時代末期に生まれ、飛鳥時代(592-710)の始めに活躍した人物と言えば、聖徳太子(574-622)ですが、彼の時代以降、古墳以外に消えたものがあります。

意外な物です。これを捉えて、日本の歴史上最大のミステリーと呼ぶ学者もいます。

古代日本から消えたもの。いったい何でしょうか?現代においては、それは復活していて、こうして見渡しても、この会場におられる参加者のうちの女性の方の多くは、現に身に着けていらっしゃるようです。