幕末(一八六三年)に修好通商条約締結のために日本を訪れたスイスの全権大使エメェ・アンベールという人もこんなふうに書いています。

「日本には金銀細工師と宝石細工師はいない。蛇紋石、孔雀石、紫水晶、黄玉を産する国にもかかわらず、誰も、どんなに洒落た女でも、宝玉や宝石で飾りたてているのを見たことがない。布地を除いて唯一の贅沢といえば、象徴的な模様の象眼細工を施した鼈甲か、金物の大きな飾り針(櫛笄(こうがい))を巨大な髷にさすことである」
(『続・絵で見る幕末日本』エメェ・アンベール著、高橋邦太郎訳(講談社学術文庫))

といったふうです。やはりアクセサリーを着けていない女性に強い印象を受けています。やはり理由については何も書かれていません。

この理由について、こう主張する学者もいます。

「六〇三年、聖徳太子は、冠位十二階を定めました。位を一二に分けて、紫・青・赤・黄・白・黒の濃淡の冠帽を王侯・貴族・役人たちに授けました。・・・衣服の布の質も、錦・繍・織・綾・羅に分けました。冠や衣服の質と色が、王侯貴族や役人の位を示すことになった・・・アクセサリーで、身分・地位をあらわす時代は過去のものになりました」
(『歴史発掘4 古代の装い』春成秀爾著(講談社))

しかし、どうですか。上流階級だけでなく、広く農民にまで広まっていた装身具がこれほどまでに使われなくなるということがはたしてあるでしょうか。しかも千年以上もの長期です。冠位十二階説はなるほどと思わせると同時に、それでもすっきり謎の解明とはいかないと思わせる部分が残ります。

では、装身具の着用禁止令が出されたかというと、そんな話は聞いたことがありません。かりにそういったものが出されて一時的には効果があったとしても、これほど長い期間にわたって平民まで含めて使われなかったことの説明にはならないような気がしますね。

戦乱の時代には装身具どころではなかったかもしれませんが、江戸期には泰平の世が訪れ、豊かな文化が花開いています。

それなのに、この時代を扱ったドラマなどを思い浮かべてみても出てくる装身具というと櫛(くし)や簪(かんざし)ぐらいのもので他には指環も首飾りも出てきません。

しかし、日本民族が装身具の嫌いな民族とはどうしても思われません。繰り返しですが、古代には、指環を含めて、耳飾りや首飾り、腕輪、足玉など多くの装身具が使われていたわけですからね。

指摘されても最初はどういうことと思いますが、知れば知るほどに、確かにこれは“謎”と呼ぶにふさわしい気がしてきます。日本の歴史における千年の謎と言ってもいいでしょう。

というわけで、この謎は謎のままです。皆さんも、この謎ときに挑んでみてはいかがですか。

さて、ここまで古代の人口にまつわるテーマを中心に番外編を含めて四つのテーマでお話してきました日本の歴史編ですが、今回をもちまして終了させていただきます。
多くの方にご参加いただきましたこと、心よりお礼申し上げます。

また、新テーマでお話ができればと考えておりますので、その節は改めてご案内させていただきます。

それでは、皆さん、また、お会いしましょう。

“はよ、帰って来てや。ガーフィールドはん”

[執筆:木村ガーフィールド
[最終更新日:2019年8月7日]