奪われた選択という行為

どうしたものか、、、
本日は無性に「カレー」を食したい。

嗅覚というものはこんなにも急速に発達するのだろうか。
常々は何気ない空気の香りなのだが、
先ほどからどこかあのスパイシーな空気を欲する自分がいる。

そういえば、朝のニュースで「カレー特集」を見た気がしてならない、、

「イントロダクション」

我々の行動は常になんらかの影響を受けている。

強いニュアンスで表現すれば「洗脳」だ。

今。この時。この瞬間。
溢れ出した欲求に己の意思はない。
明確には意思決定をしているはずの自分自身が「洗脳」されているのだ。

自分が洗脳されているはずがないと嘆く男性

「そんなことはない!!」
そう嘆きたいお気持ちはお察ししよう。
ただ、紛れもない事実、真実がここにはあるのだ。

ここで1つ、
顕著に我々が環境の影響を受けていることを証明したある実験結果を紹介しよう。

この実験は1960年代米国の某大学で行われた。

とある日、幼稚園児を集めた実験者は無作為に彼らを2つのグループに分類した。
(ここではグループ名をそれぞれ「A」、「B」としよう。)

そして「A」には1人の大人が人形を乱暴に攻撃している様子を見せ、
「B」には大人が平凡に人形と戯れている様子を見せた。

その後双方のグループの園児らを1人ずつ大人がいなくなった部屋に招き入れ、
1人きりで人形とどう遊ぶのかを観察した。

するとどうだろう
「A」の園児らは明らかに「B」の園児らよりも人形に対して乱暴的かつ攻撃的であった。

故に園児を取り巻く環境を形成する要素として大半を占める「大人」の行動が園児を「洗脳」していると言えよう。

人としての道を歩む中で幼少期が過程として存在しない人は私の知る限りでは存在しない。
そう。我々は生まれ落ちてからずっと「洗脳」されている。

「洗脳」=「人生」

もはやそのレベルであろう。

自分自身の「人生」は自分で決めるなんてとんだ戯言だ。
生まれてから一度だって「人生の選択肢」なんてありゃしない。
これこそ井の中の蛙という表現が正しい。