今では、町の様子は、単なる夢のレベルをはるかに超えていた。郵便局の角を曲がれば、古くから続く造り酒屋があり、その先には信用金庫や建設会社の社屋が並んでいる。その先にある建物や、そこから見える景色も知っている。
 職場の中学校の教室や階段、講堂の細部まで頭の中にある。壁の染みや、床のちょっとした凹凸まで頭に入っている。
 そこまで鮮明でありながら、方角によっては町のはずれが近づくと、地面はすぐ先のところで千切られたように途切れ、景色は急に霧に包まれたような具合にかすむのだった。 
 この点からすると、やはり夢は夢にすぎないのであって、現実の生活とは厳然とした違いがあった。
 ひょっとすると、町は依然として未完成のジグソーパズルのような状態にあって、見つかっていないピースがまだまだ残されているのかもしれない。
 最近になってはっきりと気づいたことがある。夢の中での自分は、現実の自分より幾分大人びているようなのだ。それが何を意味するのかは分からないが、年齢的なずれのようなものがどうやらあるらしいのだ。

 夢の中の町にいるときは、二十三歳という実年齢以上の落着きや精神的なゆとりのようなものが感じられた。自分という意識はありながらも、どこか別の人格を演じているような居心地の悪さが付きまとっていた。
 ただ、これも今から思うと年齢的なずれはずっと前から漠然とは感じていたようで、現実の自分が成長するにつれて、ずれの幅が少しづつ縮まってきているようにも思われた。
 夢にはそれぞれに隠された意味があるのだとすると、今のところ、この夢の場合は、それが何であるのか皆目見当がつかなかった。実際、さほど意味があるとは考えられないような夢ばかりが延々と続いていた。
 そもそも、夢とは、その程度の他愛のないものなのではないだろうか。
 それとも、ひょっとすると、これはまだほんの序章にすぎず、これから本編が始まろうとしているとでもいうのだろうか。
 いずれにしても、それほど気にするほどのことではないのかもしれない。こういうことは特別珍しいことではなく、人間ならだれでも似たような経験があるはずだ。