ベッドから起き抜け、パジャマを脱いで着替えると、上着とネクタイをつかんで階下へと下りる。階段の下からTVニュースの音声が耳に転がり込んでくる。聞きなれたアナウンサーの緊張感のある声が大きくなるにつれて意識が急激に現実へと切り替わる。
 洗面所で顔を洗い、癖毛を直す。社会人になってからやや短めにした髪はナチュラルに分けている。自分ではどこといって特徴が無い顔だちだと思っているが、父親ゆずりの太めできりっとした眉が、全体におとなしい雰囲気の顔のつくりの中で唯一存在感を放っている。ただ、父とは異なり、それが自分の性格を表わしているということではない。
「おはよう」
 剛がダイニングに入ると、母の里美が慣れた手つきでコーヒーを注いでくれる。カップから湯気が上る。父の誠一は、太い眉を寄せ、いつもの難しそうな顔で日経新聞を広げている。それは、記事の内容によるのではなく、単に老眼の影響によるものだろう。

「おはよう」
「お仕事のほうはどう?だいぶ慣れた?」
 里美が焼けたパンを剛の皿にのせる。微笑んだ表情が活き々々している。二人いる子供に手がかからなくなってからは、テニスクラブに入ったり観劇に出かけたりと自由に使えるようになった時間を満喫している。今年五十の大台に乗る父の誠一より四つ若い。これが現実の世界での母だ。
「まだ雰囲気くらいだよ」
 剛は、二○一八年春、大学卒業と同時に千葉に本社を置く千葉フロンティア銀行に就職して、この四月から社会人二年目に入っていた。配属は、松戸支店の融資課だ。
 入行以来、あくせくしている間に気づいてみると一年経っていたというのが実感だ。担当業務については、一通りこなせるようになったとはいうものの、正直なところを言えばまだまだだ。
「今年は何人採用になったんだ?」
 畳んだ新聞を脇に置きながら誠一がコーヒーカップに手を延ばす。
 誠一は、県内中堅のハウスビルダーの総務部長の職にある。職場では、同僚や部下の面倒見が良く、周囲から慕われているらしい。家庭では、いつもどっしりと腰を落ち着けている印象で、慌てたところを見た記憶が無い。
「去年並み。うちの銀行は、目先の景気の良し悪しにとらわれず、新卒採用数を変えないっていう基本方針だから」

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